時有金無の日々

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家族が集まることが大切

30年前の小学生の頃、青森ねぶた祭りを観に行った事がある。行き5時間、場所取り3時間くらい、お祭り2時間くらい、帰り5時間の日帰り弾丸ツアーだった。

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小学校低学年の車移動5時間は只でさえ辛い、しかもボロ車でエアコンが壊れていたから更に辛い。加えて青森市内についてからの場所取りを何故か家族全員で行うという意味不明さ。子供達だけでも何処かに連れてってくれれば良いのに、遊ぶ物も本も無い状況で3時間くらいジッと待つという拷問を受けた。

 

そんな辛い仕打ちを受けたいけれども、この旅行が思い出深いのは理由がある。(まぁ、辛さも相俟って思い出深いのだが・・・・)

このお祭り旅行は人生で唯一、祖父母と父母弟で行った旅行だった。

 

 

 

家族6人で行った旅行は、楽しさと辛さがあった。すっごい昔の、しかも幼い時の記憶なのに良く覚えている。

 

近所に住む母方の祖父母の家に車で迎えに行った時ウキウキしていた感情を覚えている。

父が祖父母と会話している記憶は殆どないが、この移動中もそうだったし、何か気まずかったのも覚えている。

移動が長くて途中で嫌になって泣いた事も覚えいる。

青森着いて、車降りたときに何か楽しくなってはしゃいだ事も覚えている。

場所取りの最中に、「まだ?」って聞いて、「もうすぐだよ」ってずっと待たされて辛かったことも良く覚えいる。

お祭りが始まったときに、初めてみたねぶた祭りの迫力にビックリしたこと覚えている。

ハネトが落とす鈴を夢中で拾ったことを覚えている。

帰りの車で渋滞と疲れで父が不機嫌で雰囲気が悪かった事、祖父母が気を使っていた事を覚えている。

拾い集めた鈴が嬉しくて鈴をずっと持ってた事を覚えている。そんで、これがその日最後の記憶・・・

 

本当に楽しさ半分、辛さ半分だった。

 

 

この旅行の楽しい部分はお祭りに関係するところだ。逆に辛かったのは移動時間や待ち時間に会話が無かったこと、つまり家族の問題だ。家族の楽しい会話っていきなりは出来ない。普段のコミニュケーションが大切だと思う。

 

社会に出てから、コミニュケーションは一回の深さより、浅くても回数が重要だと教えられた。

つまり話す機会を沢山持つことで、会話の量が増えて必然的に深い話もするようなるし、話すことが習慣になる。って考えだ。

これって家族にも当てはまるよね。真面目な話をたまーーにする家族より、どうでもいい話をしょっちゅうしている家族が問題が少ないんじゃないかな。何より会話が沢山ある家族が羨ましい。

 

 

わたしの祖父母と父の関係は、わたしの反面教師になった。

結婚して5年、妻の両親との関係は自慢出来るくらい良好だ。妻の父母は孫に会うことを楽しみに月一で遊びにくる、こちらからもニヶ月に一回は泊りがけで遊びにいく、盆暮れ正月は必ず集まる、妻の弟も帰省したら必ず遊びにくる、etc。。。つまり頻繁に会うことが習慣になっている。

 

会社の家族持ちからは不思議がられるが、相手の家族と会うことは楽しい。もちろん父母の人間性や優しさが大きく関係しているが、頻繁に会えることに私はとても感謝している。

 

 

子供は上が4歳、下が2歳。両方ともジィジとバァバが大好きだ。この子達が小学生に上がったら家族6人で青森ねぶた祭りに行こうと思う。

 

そんでもって大きくなってからその時の思い出を子供達から聞きたいな〜〜

あんまり集まらない家族、よく集まる家族の違いを50年かけて検証する一大プロジェクトの結果がどうなるか、今からドキドキするぜい!!

 

 

 

余談

大学生の時に再びねぶた祭りに行きました。2000年初頭はカラスと呼ばれる私服でハネトに加わる人が多かった時期で、ハネトの華やかさが無くなって、荒くて雑なねぶた祭りでした。

この暗黒期を見れたとこはラッキーだと思います。それ以降ねぶた祭りを見にいってないですが、今ハネトは飛び入りなしで、全員ハネトの衣装着用が必須です。個人参加可能なので参加の自由度高くハネトの人数は昔のより多いです。

そんでもって指定席も販売しているから場所取りも不要とお祭りを見て楽しみたい人にとっては最高の環境になっています。

ハネトの可愛さや賑やかさだけじゃなく、山車の大きさにも驚きます。人力だからこそできる山車の動きの細かさやダイナミックさは観客を圧倒します。

ねぶた祭りをご覧になったことのない方は、今がチャンスです。今年は3日前に終わってしまいましたが、2019年に是非。

東北三大祭りの大ボス、青森ねぶた祭り、是非是非ご覧下さい。

 

 

ではでは。。。、