今思うゲームの役割
今週のお題「ゲームの思い出」
私は二人兄弟の兄で、2歳下の弟がいる。両親は共働きで、両親が帰ってくるまではよく二人でゲームをしていた。
両親が帰宅した後は慌ただしかった。ご飯食べるから後片付けしなさいと言われ、習い事に行き、風呂に入り、宿題をし、そして皆んなでテレビを見た。とは言っても父親は夜勤がある仕事なので母と三人での家族団欒だった。
小学校低学年くらいまでは、「ゲームをやめなさい」と言われた記憶がない。しかし、小学校5、6年生から「ゲームばっかりして」とか、「ゲームやめて勉強しなさい」とか言われだした。
今までやってた事が、急に悪い事になったかの様な言い方に戸惑った。しかしゲームをやりたい衝動に負けてゲームをする、宿題はやらない、テストの点数下がる、怒られる。毎日の団欒の場は、叱責の場に変わっていった。
共働きで一緒にいる時間が少ないのに、会う度に「ゲームやめなさい」だとコミュニケーションも取りたくなくなる。習い事もしていたのだが、私はバスケと習字、弟は柔道をやっていた、母は両方とも詳しくなく、小学高学年になる頃は送り迎えも無かった。つまり共通の話題もない。
この状況で祖父母が近所に住んでたのは幸運だった。弟は柔道に打ち込んだが、私は祖父母の家に逃げ込んだ。思う存分ゲームが出来る幸せに浸ってドラクエやFFを心ゆくまで満喫した。
今思えば、ゲームは両親が働いている間、私と弟と遊んでくれていたのだ。母もその役割をゲームに求めていたはずだ。しかし数年後その友達は母が期待していたのとは違う方向に私たちを連れて行こうとした。だから母は言ったんだ「ゲームと遊ぶのはやめなさい」と・・・
小さい子供に、あの子と遊ぶのはやめなさいと言っている様なものだ。子供心に理解に苦しんだ。
しかしあの時母はゲームに別の役割を与えられたはずだ。
「宿題終わってからゲームと遊ぼう」
「ゲームは時間決めて遊ぼう」
「今日は母さん遅いからゲームして待ってて」
「テスト頑張ったらゲーム買ってあげる」
ゲームを通じて、優先順位やスケジュール管理を勉強できたはずだ。今までと同じ遊びとしてのゲーム、そして努力の原動力となる可能性があったのだが母はそう思わなかった。悪い友達だと思ったのだ。
大人になった私は、今もパズルゲームを良くする。もちろん一日の大半をゲームして過ごす様な事はない。ゲームが私の生活に悪影響を及ぼすことは無いし、むしろ暇つぶしだったり、息抜きやリラックスするときに役に立っている。
幼少期は夢中に遊んでくれる友達、少年期は優先順位やスケジュール管理を教えてくれる友達、大人になったら暇な時に遊べる友達と役割は変わっていく。
頭ごなしにゲームは悪い友達と決めつけるのは良く無いのではないか。ゲームに限らず、子供達が夢中なっているものは、大人が役割を与えてあげればプラスにもマイナスにも働くはずだと私は思う。
今の小学生が何に夢中になってるかは分からない。ただ夢中になって遊んでいるその友達は、きっと子供の人生にプラスの役割を果たしていると私は信じてる。
今回はゲームについてでした。シムシティについて書きたかったですが、書いてる途中に内容変わっちゃったのでタイトルも変更しました。
後でシムシティの思い出書こーーっと。
私のパスドラ愛についてはブログに掲載してるので、このブログが目に留まった方は是非そちらも見て下さい。
このブログが沢山の親御様の目に留まります様に・・・では!