家族が集まることが大切
30年前の小学生の頃、青森ねぶた祭りを観に行った事がある。行き5時間、場所取り3時間くらい、お祭り2時間くらい、帰り5時間の日帰り弾丸ツアーだった。
小学校低学年の車移動5時間は只でさえ辛い、しかもボロ車でエアコンが壊れていたから更に辛い。加えて青森市内についてからの場所取りを何故か家族全員で行うという意味不明さ。子供達だけでも何処かに連れてってくれれば良いのに、遊ぶ物も本も無い状況で3時間くらいジッと待つという拷問を受けた。
そんな辛い仕打ちを受けたいけれども、この旅行が思い出深いのは理由がある。(まぁ、辛さも相俟って思い出深いのだが・・・・)
このお祭り旅行は人生で唯一、祖父母と父母弟で行った旅行だった。
家族6人で行った旅行は、楽しさと辛さがあった。すっごい昔の、しかも幼い時の記憶なのに良く覚えている。
近所に住む母方の祖父母の家に車で迎えに行った時ウキウキしていた感情を覚えている。
父が祖父母と会話している記憶は殆どないが、この移動中もそうだったし、何か気まずかったのも覚えている。
移動が長くて途中で嫌になって泣いた事も覚えいる。
青森着いて、車降りたときに何か楽しくなってはしゃいだ事も覚えている。
場所取りの最中に、「まだ?」って聞いて、「もうすぐだよ」ってずっと待たされて辛かったことも良く覚えいる。
お祭りが始まったときに、初めてみたねぶた祭りの迫力にビックリしたこと覚えている。
ハネトが落とす鈴を夢中で拾ったことを覚えている。
帰りの車で渋滞と疲れで父が不機嫌で雰囲気が悪かった事、祖父母が気を使っていた事を覚えている。
拾い集めた鈴が嬉しくて鈴をずっと持ってた事を覚えている。そんで、これがその日最後の記憶・・・
本当に楽しさ半分、辛さ半分だった。
この旅行の楽しい部分はお祭りに関係するところだ。逆に辛かったのは移動時間や待ち時間に会話が無かったこと、つまり家族の問題だ。家族の楽しい会話っていきなりは出来ない。普段のコミニュケーションが大切だと思う。
社会に出てから、コミニュケーションは一回の深さより、浅くても回数が重要だと教えられた。
つまり話す機会を沢山持つことで、会話の量が増えて必然的に深い話もするようなるし、話すことが習慣になる。って考えだ。
これって家族にも当てはまるよね。真面目な話をたまーーにする家族より、どうでもいい話をしょっちゅうしている家族が問題が少ないんじゃないかな。何より会話が沢山ある家族が羨ましい。
わたしの祖父母と父の関係は、わたしの反面教師になった。
結婚して5年、妻の両親との関係は自慢出来るくらい良好だ。妻の父母は孫に会うことを楽しみに月一で遊びにくる、こちらからもニヶ月に一回は泊りがけで遊びにいく、盆暮れ正月は必ず集まる、妻の弟も帰省したら必ず遊びにくる、etc。。。つまり頻繁に会うことが習慣になっている。
会社の家族持ちからは不思議がられるが、相手の家族と会うことは楽しい。もちろん父母の人間性や優しさが大きく関係しているが、頻繁に会えることに私はとても感謝している。
子供は上が4歳、下が2歳。両方ともジィジとバァバが大好きだ。この子達が小学生に上がったら家族6人で青森ねぶた祭りに行こうと思う。
そんでもって大きくなってからその時の思い出を子供達から聞きたいな〜〜
あんまり集まらない家族、よく集まる家族の違いを50年かけて検証する一大プロジェクトの結果がどうなるか、今からドキドキするぜい!!
余談
大学生の時に再びねぶた祭りに行きました。2000年初頭はカラスと呼ばれる私服でハネトに加わる人が多かった時期で、ハネトの華やかさが無くなって、荒くて雑なねぶた祭りでした。
この暗黒期を見れたとこはラッキーだと思います。それ以降ねぶた祭りを見にいってないですが、今ハネトは飛び入りなしで、全員ハネトの衣装着用が必須です。個人参加可能なので参加の自由度高くハネトの人数は昔のより多いです。
そんでもって指定席も販売しているから場所取りも不要とお祭りを見て楽しみたい人にとっては最高の環境になっています。
ハネトの可愛さや賑やかさだけじゃなく、山車の大きさにも驚きます。人力だからこそできる山車の動きの細かさやダイナミックさは観客を圧倒します。
ねぶた祭りをご覧になったことのない方は、今がチャンスです。今年は3日前に終わってしまいましたが、2019年に是非。
東北三大祭りの大ボス、青森ねぶた祭り、是非是非ご覧下さい。
ではでは。。。、
当時夢だったテザリング
今週のお題「わたしのインターネット歴」
初めて自分で引いた回線はADSLの16Mだった。 今の回線速度と比べればウサギと亀くらい違うが当時は最速クラスの回線だった。インターネット創世記からネットを利用している方々からすれば随分恵まれた環境からスタートしたと思う。
通信費はネットで1万円、携帯で1万円で合計2万円位。通信費はけっこーな出費だった。
携帯キャリアはauでEZwebも使用していたが、当時の携帯サイトはキャリアの違いで見れないサイトがあったり、画像が重いと携帯では開かないサイトとかが結構あって、インターネット使うならパソコンみたいな感じがあった。
EZwebの使用料は1000円とかだった気がする。携帯電話は低額でネットに繋げるし、使い放題だけどネット利用には向かないツールだったって事だ。
当時からセコい私は、携帯は低額でネット使い放題ってことに注目して天才的な事を考ついてしまったのです。
それは・・・
携帯電話をモデムみたいに使ってパソコンに繋げられたら、携帯電話ネット使い放題だから、パソコンでもインターネット使い放題じゃね!!!
ってことでした。
これ今じゃ当たり前の技術ですよね。
分かります??
そう、テザリングです。
家に回線引いてなくても、スマホさえ有ればパソコンをネットに繋げる時代になったのですね。しかもテザリングのボタンまであるから使い方も超簡単!!
技術の進歩スゲーぜ!!
20年位前はテザリングが出来れば通信費を半分に出来る、って本気になって調べてましたが当時はテザリングって言葉も一般的ではなかったし、いくら調べても分かりませんでした。
今携帯会社はネット通信費を従量制にしてるのでスマホさえあればネット使い放題って訳ではなくなりました。テザリングが出来ても家のネット回線を撤去するとこは出来ません。むしろ、携帯の通信費抑える為に家の無線LAN経由でネットに繋いでるので家の回線超重要です。
技術進歩で便利になったけど、その技術を使うにはお金がかかる・・・
節約の為に調べてたことが出来る様になった、けどお金がかかる・・・節約出来てないし!
進歩は嬉しいがそれが無料で使えるまでは、まだまだ時間がかかるって事だね。
いつか通信費がメチャ安い時代が来ることを楽しみに待ってるぜい。。。
余談
私は19才の頃に携帯キャリアをドコモからauに変えました。理由はauが学生半額だったからです。
MNP(モバイルナンバーポータビリティ)ではなかったので、携帯番号も変わったんですが、ドコモの携帯番号もっておけばよかったと心底後悔してます。
当時のドコモの携帯番号は
090-7070-7979
勿体無い番号だったなー。覚え易いし。いやーー勿体無い。ブログ書いてて思いだしちゃった(涙)
この番号持ってる方、それは私が手放した番号ですよーー。大事に使って下さいね。
ではでは。。。
趣味にモチベーションはいらない
今週のお題「わたしのモチベーションを上げるもの」プライベート編・・・
なんかのポエムで、「現代の若者は社会的な地位を得ることや、出世や企業成長によって収入を増やすことよりも、好きな趣味を楽しみながら暮らしたいようだ。」と書いていた。若者批判みたいな内容だから私は共感できなかったし、すこし残念な気持ちになった。
ピラミットの建設に関わった人が、最近の若者は・・・と石に書き残していたのは有名な話だが、いつの時代も若者は苦言にさらされているなあと思う。プラトンや清少納言も同様に当時の若者を嘆いていたようだけど、結果文明は進歩し生活は豊かになっている。つまりは今まで大人達が若者にしていた心配は必要ないんだろなーーと思う。いままでもこれからも。
このポエムは「現代の若者は」ではなく「現代は」がよいと思う。私はアラフォーに片足突っ込んでいるが、出世や会社の業績よりも、自分の時間を大事にしたいと思っている。
しかし、仕事そっちのけと云う訳ではなく、自分の責任にあるものは、努力してしっかりやる。それで出来なければ上司が評価してくれれば良いと思う。必要以上に頑張って自分を追い詰めるのは私は好きではない。以前「降格人事のススメ」という内容のブログを書いたが、私は中間管理職から平社員に降格しているが、会社批判をしたことは無い。会社があるおかげで給料が貰えているし、休日が楽しみなイベントになっているから。
話を戻して、
好きな事や趣味をするってことはとても大切な事だ。昔から言われてるが好きを仕事に出来たら苦労や努力にも前向きに受け入れる事ができる。何事も仕事と結び付けることが出来るから仕事の成功率もあがるでしょう。
つまり好き=モチベーションだと思う。趣味も同様に、趣味=好きな事=モチベーションが成り立つはずだ。
例えば会社の上司に強要された草野球を趣味と言う奴はいない。これやりたいなと感じて自発的な行動を起こしているのが趣味だ。趣味を仕事にして成功している人も沢山いる、ミュージシャンや芸人はいい例だと思う。
音楽を作る事に喜びを感じとか、人を笑わせるのが快感だと言う人種は天職だ。しかし好きな事を仕事にしたからと言って必ずしも成功するとは限らない。むしろ好きな事を仕事にしたのに上手く行かなかった人の方が圧倒的に多いはずだ。この成功と失敗の差は好きの度合いによるものだ。
今や一流芸人のブラックマヨネーズは若手で仕事が無いとき、周りのコンビが飲みに行ったり遊んでいる時も2人でファミレスでネタ作りをしていたそうだ。一流ミュージシャンのゆずは路上ライブしている時に酔った大学生に襲撃され非常に悔しい思いをしたが、毎日路上ライブを続けたそうだ。つまり遊びたいって欲望よりも、悔しいって感情よりも好きが勝っている状態だ、これが本当の好きだと思う。これくらい好きな事を仕事に出来れば、成功する可能性も上がるだろう。
趣味をして過ごすって事は好きな事ををするってこと。そのバイタリティやモチベーションが生んだ新たな仕事もある。
ユーチューバーやプロゲーマーは最近の職種だ。正直この二つは詳しくないので、コメント出来ないが、この職種を目指している人を楽して過ごしたい人種とは私は思わない。好きな事を仕事したいと考えている人は本当に凄いとおもってる。それは好きを仕事した瞬間からモチベーションが必要になるからだ、困難にブチ当たった時にこの好きの差がモチベーションの差を生む。大好きで四六時中仕事の事を考えている人に何となく好きな人は太刀打ちできない。本人が頑張っているつもりでも差は広がる一方だ。そして失敗した時は相当悔しい思いをするだろう。好きを仕事にするってことは、普通に仕事するより大変ってことだ。
私は登山が趣味の普通のサラリーマン。
ソロで登ることはあるが必ず日帰りだ、縦走して何日も山に籠る本気の人達に比べればお遊びみたいなものだが、達成感や充実感、心地よい疲労感を得られる。帰宅してからのお風呂は最高に気持ちいいし、ビールは最高美味しいから満足している。それは好きな遊び=趣味だから。
趣味にモチベーションはいらないが、仕事にはモチベーションがいる。趣味を仕事にするなら1番大好きことを仕事するべきだ。
私は趣味や好きな事を仕事にしようとしている若者を心から応援します。
頑張れ現代の若者!!
では。。。
欲深い方が良い! と云う先輩の教え
今週のお題「わたしのモチベーションを上げるもの」仕事編・・・
私は2回転職をしている。新卒で入社した会社は倒産した。小さい会社だったので新卒研修などはなく、先輩からアドバイスや雑談から必要な知識を得ていた。社会に出てかなり経つが、本当にあの時の教え(雑談)は役に立った。仕事を変え後輩を持もったが、後輩を教育する際はその時の雑談を思い出して引用している。
社会人一年目は分からない事だらけで、色々なことを覚えなくてはいけない。その中で一番早く覚えたいのは実務だ。戦力として認めて欲しい、周囲から評価されたい欲求から自然と質問も実務的なものや技術的なものになる。私も同様だったし、先輩は私の質問には常に分かり易く答えてくれた。
私も後輩を持った時に分かったのだが、ヤル気のある人材に教育するのは楽しく、やり甲斐がある。なので教育する側も実務ばかりガシガシ教えがちだ。しかし、この時の実務や教え方が役に立つことは少ない。
役に立った教えは本当に雑談の中にあった。
当時私の面倒を見てくれた先輩の話は「欲にまみれろ!」と云うものでした。
私の就職したころはモラールというビジネス用語があった。集団的モチベーションって意味だった気がする。モチベーションとほぼ同じ意味なので、モラールをモチーベーションと置き換えてお話しします。
ここからは先輩の言葉
・・・
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モラール(モチベーション)っていうのは、目標を達成する為の行動を継続させる力のことで、こいつは何するにも凄く重要。
今新卒のモラールが高いのは、仕事覚えたいとか、周りに認められたいって目標があるからだ。ある程度仕事覚えて、周りからの評価も確定するのが1年後くらいだから、それから先の目標が無いとダラダラしちゃう。入社2年目以降に伸び悩んで後輩から抜かれて仕事辞めちゃう奴が何人もいた。
だから目的と目標はしっかり持ってた方がいいよ。まぁ難しいけど、プライベートでも役立つから練習だと思って、目的目標行動を作ってみたらいい。強要しないけど。
(私)目的と目標って何がちがうんですか?
目的ってのは、何の為にやるかってこと。
目標は具体的な状況のこと。
良くわからんよね?
例えば「ダイエットのために腹筋してます。」ってよく聞くよね。ほんで「ダイエット失敗しした。」もよく聞くよね。
これを目的目標行動で考えると。
目的は、女性にモテる為に
目標は、夏まで腹筋を6パックにする。
行動は、毎日腹筋100回。
って感じになる。もしくは
目的は、昔着てたお気に入りのズボンを履く為に
目標は、ウエスト10センチ減。
行動は、毎日腹筋100回。
とかかな?
目的=何の為に
目標=いつまでにどんな状態にする為に
行動=何をする
失敗した時は大抵行動に問題がある。一番多いのは行動を継続出来なかったって振り返りだな。重要なのは目的が自分の欲望になってるかってこと。それじゃないとモラールが低くなって行動が続かない。
腹筋の話をだと、モテたいとか、オシャレして自分を満足させたいとか、欲望が大きくはっきりしてないと失敗するってことだね。
新卒の話だと、
(目的)周囲から社員と認められる。為に、
(目標)独力で実務を行える状態にする。為に、
(行動)分からない事は質問してメモする。
(行動)自分で参考書買って勉強する。
(行動)先輩と積極的にコミュニケーションをとる。
1年後ヤル気無くなるなは社員と認められ満足して、欲が無くなっちゃうからだ。要するに自分でも気付いていない低い目標立てて、その目標を達成してて、次の目標が見つかってない状態だな。
ここまで話したから、お前に社会人2年目3年目を有意義に過ごす為にアドバイスする。
他の人より評価されたいとか、もっと条件のいい会社に移りたいとか、堂々と有給がっちり使いたいとか、人には喋れない様なことを目的にして仕事しろ。それがモラールに繋がって頑張れるから。
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それから2年後に先輩は会社を辞め、某有名レンタルビデオチェーンに入った。
私はもほとんど同じタイミングで会社を辞めた。休みとボーナスが無かったことが理由だ。金銭的な問題より、休みが無いのは耐えられなかった。
それから数年、私は有給を遠慮なく取れる状態になった。個人ワークを早くこなせる様に努力した結果であり、給与面よりも休みを重要視して転職した結果だ。
休みを沢山取ってプライベートを充実させたい欲望が職場の私を作っている。降格もしたが、職場や人間関係の不満は無い。
休みを取るというシンプルで常にある欲望を満足させる為に私はモチベーション高く仕事を頑張っている。
今回は難しいお題だったなーー。
なんか上手く書けなくてモヤモヤする。
私は家に鍵を掛けない
周りからは罵倒されますが、そうなんですよ。
「あーー田舎でよくあるやつね」と侮るなかれ。葛飾区に5年住んでましたが、そのときも一度も鍵を掛けたことはありません。
なぜ鍵を掛けないのか?
一人暮らしの最初は掛けてました、それが掛けなくなったのには理由があります。面倒臭いからなんて野暮な理由じゃありません。周りからは納得されない、鍵を掛けなくなった理由を是非聞いて下さい。
社会人になって2年目の話です。
私は仙台市太白区に住んでいました。安月給ながらも、親元を離れ、自立した生活を送っていました。
当時はコンビニにATMが設置されておらず、設置されているのは銀行や駅構内、大型デパートでした。しかも利用時間も24時間ではなく、夕方6時頃には使えなくなるという、今とは比べられないくらい不便な仕様。
今と変わらず貧乏な私は、手数料をケチって10万単位で引き落として、なるべく手数料がかからない様にしていました。自宅から最寄りのATMまで距離があったことも、まとめて現金を引き落としていた理由の1つでした。
サイフには1万〜2万円を入れて、残りは自宅に置いておく。盗まれるのが怖いから、外出時にはカーテンを閉め、玄関の鍵は上下2つ必ず掛けていました。
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「 ピンポーーン 」
忘れもしません、2月3週目の木曜日の夜。
私のアパートのインターホンがなりました。
(また新聞の勧誘だな?と思いつつ)
私「 はい 」
警「 夜分にスミマセン、〇〇警察署の者ですが、お伺いしたい事があるので、少し宜しいですか? 」
( なぜ?警察?パニクる私)
( とりあえずドアを開けると確かに警察官が )
私「 (ビビりながら)なんでしょうか? 」
警「 夜分スミマセン、昨日この辺りで複数の窃盗事件が発生して被害届けが出されていて、今朝から周辺の方々に注意を促しておる訳なんですが・・・ 」
私「 わざわざ、ありがとうございます。(ホッ)」
警「 いえ、わざわざ夜に来たのは理由がありましてですね。このアパートの方も被害にあってるんですよ。 」
私「 えっっ! 」
警「 日中に外から確認させたもらったら、こちらの窓ガラスが割られてたので、被害に遭われてるんじゃないかってことで今伺ったんですが大丈夫ですか? 」
(テンパる、そしてパニクる私)
(カーテンを開けると窓鍵の部分にこぶしくらいの穴が・・・)
(嫌な予感・・・現金の置き場所を確認すると)
「 ないっ! ここに置いてた9万円がないっ! 」
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私はアパートの一階でしたが、2階含め全室窓ガラス割られてたようです。
鍵2つ、カーテン、現金の保管場所、当時の私に出来るMAXのセキュリティはいとも簡単に破られてしまいました。しかも、2月の寒い時期に窓ガラスを割られると云う二次災害も込みで。
翌日の金曜日に窓の修理を依頼したのですが、対応は翌週の月曜日。土日は暖房の効きも悪かったです。
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そりゃそうだよ、窓割れてんだもん!!
2月って一番寒い月だもん!!
そして、その時気付いたのです。
①鍵を掛けなければ、窓ガラスは割られなかった。
②家に貴重品を置かなければ窃盗に遭わなかった。
そして私は家に貴重品を置かず、家に鍵をかけなくなりました。
「 泥棒よ、私の家には貴重品はない。確かめたければ玄関から入ってくるがいい。その代わり、窓ガラスや玄関の鍵穴は壊してくれるな。」
私の防犯スピリットはこの時無くなった。ひとの家を破壊してでも侵入しようとする犯罪者に対し、それを防ぐ効果的な対策が思い浮かばなかったから。
しかし私の心には新たなスピリットが燃え始めていた。それは犯罪の証拠を確保することだ。
被害に遭ったその時から、私は録画機器オタクになった。「録画してます」を外向けにアピールして犯罪を抑制する防犯カメラではなく、被害に遭った時の証拠を取るためのものだ。
私は今も集合住宅に住んでいる。防犯対策してるい人は多くても録画している人は少ないだろう。泥棒もそう思っているだろうが、私はおまえ達の悪事を撮っている!!
ここ1年でドライブレコーダーは劇的に普及した。それは万一の時に証拠を残したいという意識からだろう。そして普及に伴って危険運転は減っていった。
皆んなドライブレコーダー持ってるだろうという認識が犯罪の抑制に繋がっているし、万一の時も証拠は残る状態になっているのだ。
素晴らしい!!!
集合住宅もこれを理想にしたら良いと思う。
私は家に鍵を掛けない、だが犯罪撲滅の為に録画機器の設置を進めている。
最後まで読んでくれた皆様、ありがとうございます。では最後にウェブで「防犯カメラ」と検索お願いします。
今思うゲームの役割
今週のお題「ゲームの思い出」
私は二人兄弟の兄で、2歳下の弟がいる。両親は共働きで、両親が帰ってくるまではよく二人でゲームをしていた。
両親が帰宅した後は慌ただしかった。ご飯食べるから後片付けしなさいと言われ、習い事に行き、風呂に入り、宿題をし、そして皆んなでテレビを見た。とは言っても父親は夜勤がある仕事なので母と三人での家族団欒だった。
小学校低学年くらいまでは、「ゲームをやめなさい」と言われた記憶がない。しかし、小学校5、6年生から「ゲームばっかりして」とか、「ゲームやめて勉強しなさい」とか言われだした。
今までやってた事が、急に悪い事になったかの様な言い方に戸惑った。しかしゲームをやりたい衝動に負けてゲームをする、宿題はやらない、テストの点数下がる、怒られる。毎日の団欒の場は、叱責の場に変わっていった。
共働きで一緒にいる時間が少ないのに、会う度に「ゲームやめなさい」だとコミュニケーションも取りたくなくなる。習い事もしていたのだが、私はバスケと習字、弟は柔道をやっていた、母は両方とも詳しくなく、小学高学年になる頃は送り迎えも無かった。つまり共通の話題もない。
この状況で祖父母が近所に住んでたのは幸運だった。弟は柔道に打ち込んだが、私は祖父母の家に逃げ込んだ。思う存分ゲームが出来る幸せに浸ってドラクエやFFを心ゆくまで満喫した。
今思えば、ゲームは両親が働いている間、私と弟と遊んでくれていたのだ。母もその役割をゲームに求めていたはずだ。しかし数年後その友達は母が期待していたのとは違う方向に私たちを連れて行こうとした。だから母は言ったんだ「ゲームと遊ぶのはやめなさい」と・・・
小さい子供に、あの子と遊ぶのはやめなさいと言っている様なものだ。子供心に理解に苦しんだ。
しかしあの時母はゲームに別の役割を与えられたはずだ。
「宿題終わってからゲームと遊ぼう」
「ゲームは時間決めて遊ぼう」
「今日は母さん遅いからゲームして待ってて」
「テスト頑張ったらゲーム買ってあげる」
ゲームを通じて、優先順位やスケジュール管理を勉強できたはずだ。今までと同じ遊びとしてのゲーム、そして努力の原動力となる可能性があったのだが母はそう思わなかった。悪い友達だと思ったのだ。
大人になった私は、今もパズルゲームを良くする。もちろん一日の大半をゲームして過ごす様な事はない。ゲームが私の生活に悪影響を及ぼすことは無いし、むしろ暇つぶしだったり、息抜きやリラックスするときに役に立っている。
幼少期は夢中に遊んでくれる友達、少年期は優先順位やスケジュール管理を教えてくれる友達、大人になったら暇な時に遊べる友達と役割は変わっていく。
頭ごなしにゲームは悪い友達と決めつけるのは良く無いのではないか。ゲームに限らず、子供達が夢中なっているものは、大人が役割を与えてあげればプラスにもマイナスにも働くはずだと私は思う。
今の小学生が何に夢中になってるかは分からない。ただ夢中になって遊んでいるその友達は、きっと子供の人生にプラスの役割を果たしていると私は信じてる。
今回はゲームについてでした。シムシティについて書きたかったですが、書いてる途中に内容変わっちゃったのでタイトルも変更しました。
後でシムシティの思い出書こーーっと。
私のパスドラ愛についてはブログに掲載してるので、このブログが目に留まった方は是非そちらも見て下さい。
このブログが沢山の親御様の目に留まります様に・・・では!
短冊を書く2つの理由
今週のお題「星に願いを」
小さいときに短冊に願い事を書いた記憶はあるが、内容は何一つ覚えていない。
なんでだろー? 私だけかしら? と思って会社で聞いたみたら、案の定短冊は書いてるけど何書いたかは覚えてないって人が多かったです。
そもそも願い事っていつするだろーって考えてみた。
正月のお参り、七夕、お盆のお墓参り、クリスマス、、、それくらいかな?
正月は一年の充実とか、目標達成出来るようにとかをお願いしてる気がする。給料上がります様にとか、彼女出来ます様にとか、何かの大会で入賞出来ます様にとか。
お盆は家族の健康とかお願いしてる。それ以上は厚かましい気がしてご先祖様にお願いできない・・・
クリスマスは欲しい物をサンタさんにお願いする。年齢制限はあるけど昔の記憶でも、感情と一緒に鮮明に覚えていることが多い。
まぁザックリだけど、
お正月は目標
お盆は健康や家族のこと
クリスマスは欲しい物
って感じで別れてる様な気がする。じゃあ七夕は?
先週ショッピングモールで短冊を竹に結ぶイベントをやっていた。付けられてた短冊には、「家族でハワイに行けますように」とか、「サマージャンボが当たりますように」とか、「ステキな彼氏が出来ますように」とか、「夏休み沢山遊びたいので晴れの日が沢山ありますように」とか内容色々でしたね。
竹に色とりどりの短冊が飾られた様は、見てるだけで夏を感じますよね。
けどその様子を作りたいが為に、何でも良いからお願い事書いて、ってなっちゃってるから、願い事覚えてないけど短冊は書いたって記憶になるよね。短冊飾ったっていう楽し記憶が残るって訳ですよ。これが私のパターンですな。
そのショッピングモールに飾られた短冊の中には「ピアノが上手になります様に」とか、「プロサッカー選手になれます様に」とか、「夏の大会で優勝出来ます様に」などの内容のものがあった。
私の予想ですが、多分これは今自分がやってることの延長線に願い事があるパターンだと思います。つまりは目標なのかな?
こうゆう内容を書く人って立派だなぁと思う。きっと短冊に書いたとこを覚えてる少数派の方々
もともと七夕って何かの上達をお願いするものだった気がする。今の七夕のスタイルも全員参加型でステキだと思うけど、自分を見直して頑張るきっかけを作る昔の七夕もまたステキだなと思う。
親子やカップルで一緒に短冊書いて飾って、その行為をステキな思い出でとして残すも良し。
目標を書いて、自分を見直し頑張る機会にするも良し。
短冊を書く理由はこのどちらかだと思う。
今週のお題から七夕を考えてみたけど、七夕もステキなイベントだなと感じました。
ありがとう七夕🎋